ぺりぺりぺ

大手IT金融OLの戯言

死にたいと消えたいは違うんだわ

ぺりかん大先生です。

 

別に失恋を引きずってるわけじゃないんですがこの話をしようかなと。

 

ずっと前から希死念慮というか、消えてしまいたいって思う癖があります。
誰の記憶からも無くなって、あたかも私が存在していないようになれるならなってほしいと今でも思ったりします。
これは受験で躁鬱になっていたときでも支えてくれている彼氏がいたときでも起業で成功した今でもずーーーーーっと考えていることです。

何と言うのですかね、「死にたい」と「消えたい」って似てるようでかなり違う話なんですよね。
死ぬことって必ずしも誰かにわかってしまうし、周りの人を悲しませてしまう、もちろん迷惑だってかかるわけですが、良くも悪くも(限りなく悪い要素しかないけど・・・)誰かに強い影響を与えてしまう、自分の存在を残せることじゃないですか。私だって苦手な人とはいえ自殺したと聞いたら普通に悲しいし、しばらくは色々考えてしまうと思います。
三浦春馬さんが亡くなった話が久しいですが、彼は亡くなったとはいえおそらく彼自身は「消えたかった」んだと思う。自分の行く道がわからなくなって自分を見失って、でも自分が消えることはできないっていう現実に絶望して、でも消えたい。消えられない、死ぬのが一番消えるのには近いよな、って思ってあのような手段を取ってしまったのではないだろうか・・・というのが個人的な見解です。
三浦さんの性格的におそらく自分の死で何かを訴えたかったのではなくて、むしろ著名人だからこそ自分の死が与える影響が大きいことなんて想像に容易いから余計に「消えたかった」んじゃないでしょうか。消えるって、誰の記憶にも止まらないってことなんですよ。私は正直そうなりたい。って今も思うんです。

 

今も昔も自分の存在意義が見出せないんです。
大学はそこそこいいところに行ったし、容姿もそこまで悪い方ではないと思います。年収も前の記事にも書きましたがガンガン稼げるようになって、ほしいものはだいたい買ってます。

でも、つらいんです。しんどいんです。私、何者にもなれてないんです。死にたいとは思わないんですが、消えたいんです。自分の死で何かを訴えたいという気は全くなくて、明日が来なければ、自分が消えていればそれでいいのになって思うことは多々あります。

でも消えることなんてできない、じゃあ死ぬか?って話だと死んだらまず部屋だと大家さんや親に迷惑がかかるし、職場の人の引き継ぎ、自分がいなくなった後の穴埋め・・・それに加えてやっぱり悲しむ人もいると思うんですよね。こんな私のこと悲しんでくれる人がいるだけで嬉しいんですが。そこまで人に迷惑かけてまで死にたくはないんです。だから消えたいって思っちゃう。

 

私が独立して法人を持ってるのってある意味自分の存在意義のためにやっているところがあります。会社員だと基本的に代わりはいくらでもいるでしょうけど、自分の会社だと私だからできる仕事だよってのを法人という格に乗せてるっていうんですかね。 

あと猫を飼っているのも自分が生きるために飼っています。にゃんこは自分でお金を稼ぐことも、自分で餌を取ってくることもできないですから。私が死んだら誰が面倒見るんだよって思ってて、生きるために飼っています。もちろん愛情は注いでますよw

 

 

私もこうして消えたい、消えてしまいたい、でも消えられない、じゃあ死ぬ?周りの人に迷惑かける?それはダメだから生きようって自問自答の繰り返しで生きています。
でも私の場合まだ幸いなのは、消えたいけど消えられないから生きるか死ぬかを天秤にかけたらまだ生きるって選択が取れること。三浦春馬さんはここで死ぬ選択を選ぶほど死ぬほうが楽で、生きることに苦しさを感じていたんだな・・・って思うと、正直本当に本当に悲しい。

独立して色々仕事をやっていると、「事業に失敗して死にたい側面に向き合ってきたしみんな色々あるよ〜!!」と励まされる時があるんですが、正直そのような悩みとは違うベクトルで私は自分の存在意義とか生きる意味にずっと疑問を抱きながら生きているわけです。

 

まあ何が言いたいかよくわからんしまとまりが悪いんですが、「死にたい」じゃなくて「消えてしまいたい」という人の気持ち、すんげえわかるよって話。同士がいたら一緒に酒でも飲みましょ。わいが奢るわよ。

 

次は明るい記事書きますねw